Essay & Column
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| 一人で1日二人で3日…。楽しけりゃそれも良い。 | ||
| 2002年は日本もくすのきもお祭り騒ぎ | ||
| Win派のMacな日々 | ||
Win派のMacな日々 ('03/01/10)
年末に知人から頂いた Old-Mac を弄っている。
とりあえず,ゲームとネットだ。(笑)
解像度が低いので,ネットにも不満はあるが,あこがれ(?)の
Mac に触れるだけで喜びが大きい。
職場では,時々OS9機に触れることがあるが,iBOOKだし,仕事上チョボっと
Excel や Word
を使う程度なので,私的には使っているという気はしない。
我が家にはじめてやってきた Mac は,Mchintosh Performa
5420。ブラックボディの一体型。
Power PC 603e 120MHz
だから,3世代か4世代前のモノだが,これがなかなか楽しい。
InternetExplorer5.1:mac を導入すると,固まる。
あれこれ弄り回すと,かの有名な爆弾マークまで飛び出す始末。
間違えなく,メモリ不足と踏む。メモリ容量 48MB
だから,重い IE5 なんて土台無理なのだ。(笑)
だったらとりあえず分解。(そうなのか?)
MBを取り出し,どんな構成か見てみると,
8MB(オンボード)+8MB+32MB のメモリのようだ。
だったらまだまだいけそう。調べたところ,メモリは,なんと
EDO の 136pin もの。(DOS/Vでは,72pinが主流だった)
「"えど"かぁ。懐かしいなぁ。」などと思いながら,マザーボードをじっくり眺めます。CPUクーラーはファンなし。しかも薄っぺらなアルミ板。
PCI
スロットもあるけど,Video入力/オーディオ/モデム/TV/ラジオ関連は独自接続。しかし,合理的な作りらしくサッパリしている。
出来ることならアップグレードしたいという衝動に駆られる。
あれこれ調べるうちに,2次キャッシュスロットに挿す,G3-CPUカード(アップグレードカードというらしい)の存在を知る。
しかし,買って挿すだけってのもなんだから,OS9くらいは動作させたい…などと夢想の日々だ。(笑)
とりあえず,現状は,64MB メモリを
2枚(制限容量です^^;)調達して,136MBのメモリ大尽になり,RAMディスクを設定して快適に
IE5:mac が動作してる。
それにしても,Mac
はハードもソフトも面白い。何たって,Windows が真似した
あの Mac だ。
しかも,私の目から見ると,Unix
の操作性に近い。面白くないわけがない。
どれが先かは問題ではなく,いろいろなコンセプトや発展形態に触れられる幸せがそこにある。
子どもの成長と同じように,人類の進歩と同じように,"道"は自分が理解しているよりも,もっと複雑なものだ。
Unix に触れて Win を知る。Mac を学んで,Win
を考える。そして,Unix がもっと楽しくなるかもしれない。
順序や形態はどうあれ,パーソナルなコンピュータをもう一度振り返るには,良い機会を得た。
OS9 / OS X を自宅に召還したいが,とりあえず,OS 8.5
な日々を満喫しよう。
BSD / Linux に触れてきたように,きっと Mac OS
も,ひとつでは収まるまい。(笑)
「日経WinPC
縮刷版CD-ROM 2002」が12月16日に発売された。
PDFで保存された内容は,誌面そのものでとても見やすい。
書籍を並べて置かなくとも,永久?保存版として省スペースでよろしい。
さらに,PDF全文検索プラグイン「言語工学研究所 CD-ROM検索3.3」(PDFinderのCD-ROM専用版)が同梱されているので,
調べたいこと,読みたい記事の検索に役立つ。保存のみならず,日常活用できる。
特集記事に何点か協力させていただいたので,自分の記事も2つ3つ引っかかるのかなと,半信半疑で,お馬鹿にも「くすのき」と入れてみる。
なんとずらずら出てくるではないか。
山の神との格闘の記録&物欲小屋&お馬鹿丸出し系コラム「くすのき自作道楽」までもが掲載されていた。
こんなものを保存版に含めて良いものかと驚嘆し,同時に日経WinPC編集部の懐の深さに頭が下がった。
「自作道楽」が,いつまで続くのかはわからないけれど,「いいかげんには書けないな」と反省もした。(^^;)
2002年といえば,なんと言ってもワードカップサッカーだ。
リーグ戦突破,強豪に打ち勝つニッポンチームの姿を,誰もが夢み望んでいた。
むろん,私もその気持ちで1戦1戦,狂喜乱舞したひとりだ。
夢のような決勝リーグ進出。日本を元気にした日本人の頑張りだ。
比較にはならないけれど,私の自作道楽にも,希望とテーマがあった。
どうしても欲しかったノンリニア編集機の制作だ。
そのため,1年間高額パーツの記事が多かった。
お情けにでも目を通してくださる皆さんには,金遣いの荒い放蕩亭主のように写ったと思う。
我が山の神に,共感・賛同・応援した方も居ただろうか…。('-';)
いくら欲しいと言っても,いっぺんにあんな高額は出せないし,ノンリニア機のために用意した金も不足気味だった。
また,強がりを言えば,すべて買いそろえて作るのでは楽しみも少ないし,すぐに色褪せる。
自分なりに情報を集め,Xeonシステムの導入,ビデオカード,キャプチャ,Ultra320
SCSI と,順を選び時節をおって,調達してきたつもりだ。
その間には,Xeon Dual
システムのオーバークロックと,遊びも取り混ぜながら…。(笑)
放蕩亭主にも,1年がかりの秘めた計画があったのだと,大目に見て欲しい。
一部,欲しいパーツの取得保留はしているものの,とりあえず,充実した
PC Life だった。
奥様族の敵「くすのき」は,来年に向けて,また楽しい計画を練っている最中…。新たなお祭りを画策中だ。
皆さんも,自分なりの計画や楽しみをもって,来年も
”Enjoy! DOS/V ” して欲しい。
パソコン処理は,やり始めると結構楽しい。
依頼されたプログラムのコーディングだったり,趣味の画像処理だったり,最近精力的なノンリニアビデオ編集もしかりだ。
さて,私は,表計算やデータベースなどの生成やデータ入力作業はともかくとして,
ちょっと込み入ったマクロだったりプログラムを依頼されたりした場合,まず依頼人からその作業の期限を聞く。
大概は,「明日使いたい」とか,「来週くらいに」なんてことが多い。
そんなときは,自分なりに計算して,どう考えても大規模になりそうなとき以外は,多少無理をしても「わかった」ということになるのだが,
大概,納期より早い。これは,プロにはきっと真似できない。(笑)
趣味だから,楽しんで集中できるというのはあると思う。
さて,先日楽しいPC処理=ノンリニアVIDEO編集で,あるプロジェクトに参加した。TV-CM作りだ。
事情があって,私のPCを持ち込んでの作業となったのだが,ある部分では恐ろしく後悔することになった。
面白いことに,はじめに,ナレーション内容が決まったのだ。あらかじめ,テーマが決まっていたのだろう。
しかし,これはとてもやりやすい。ソース選びも苦労が半減以下だし,あとは組み合わせと適度な効果だから。
聞いてたナレーション内容にあわせて,ソースを選んでいく。
結果的には,ソース選びも特殊効果も,私の感じたとおりだったのだが,編集作業中,議論百出というか,あれこれ散漫な部分の意見が飛び交い,
その場での集中力が出ない。雑談的な内容も多くなるから,流しの完成までに,なんと時間がかかったことか…。
やっとこ,おおむね流し画像が決まったところで,その日は終了。
テープに落として自宅で何度も繰り返し見ながら,フィルタやエフェクトなどの効果を,いくつか考える。
「目立っちゃいけないサラッと…」などと注釈とイメージを書きとめ,何度も考えながら次の作業に応戦する。(笑)
スタッフに効果変更を見せる必要もあるし,効果を加えることで生きるソースもある。
同じ特殊効果でも,フレーム数の違いで,しつこくもなるしサッパリにも表現できる。そのあたりは説明しなくちゃわからないかもしれないが,
議論をしている暇はない。
なんとか,予備を含めて2作を,「これで行きましょう」というところまでは来たわけだが,結局費やした時間は効果サンプルを編集した時に要した時間の3倍以上。
サンプルでは,ソース画像数が完成品の3倍だから,べき乗かもしれない。PC作業は,1人の方が絶対に速い。
クライアントの意図さえ咀嚼・理解できれば,結果はほぼ同じ。違いを修正するために持ち帰っても,一人でやった方が効率はよいだろう。
編集をはじめて,ほんの少しで,持ち込みを提案した自分の言葉に後悔したのである。
しかし,じきにその気持ちも薄れた。今回,それ以上に楽しめ,興味を引かれたのだ。
人間って凄い。なにげなく特殊能力を持っている。
ナレーションであったり,音楽感性であったり,感覚を端的な言葉に出来る能力であったり,普段強く感じていなくても絵になる人であったり…。
そんな人たちがいろいろな感性でモノを言い合う会議は,その場に自分が存在するだけで胸がときめく。
こんな会議は,仕事でもボランティアの会議でも無いし,最近,こんな感覚は滅多に味わったことがなかった。
普通ならイライラがつのりそうなこの時間を楽しめたのは,完成品以上に生きている感覚を味わえたからでしょうか。
良い訳としては,結構お粗末だけど,とりあえず自分を納得させる手段としてはかなり有効だったりする。私も常に「忙しい」と言い続け,そう思いこんでいる。
「忙しい」は,「心を亡くす」と書く。また,”いそがしい”とも,”せわしい”ともいう。
”いそがしい”は,「することが多くて暇がない。」の意味もあるが,”せわしい”は,「用事が多くて気持ちが落ち着かない」とか「いそがしくてゆったりした気分になれない」の意味だ。
要は,時間にも心情にも「ゆとりがない」と言うことなのだが,そういう「気分」になっている。そう”思って”いるということなのだろう。
ある土日のことだ。
朝起きて,午前中にホームページに投稿された自作PC5件を追加するためにコメントを付け,ページを編集してFTPする。
昼食後,隣接した町のとあるセミナーに出かけ,ポスター作りとCM編集について打ち合わせ。
予定より遅く帰宅して,住民として地区の会合,そのまま飲み会へ突入。午前様(3:00就寝)だ。
翌朝,7:00に起床して,区民ソフトボール大会。
2試合目で惜しくも破れ,地元町民としてボランティアをしているサークルの作品を完成させるために,不足する物品を買い物に出かけ,家で作品集を完成させる。
夕方17:00に完成作品をサークル作品展示のため出かける。
その間にも,近所の人から携帯電話へ自作PC納品予定の連絡を受け,打ち合わせ。さらに合間に娘の塾の送り迎え。
もうここ2〜3年,こんな週末は珍しくはない。しょっちゅう「俺は休んでいない」と思う。
しかし,「休む」とはどういうことだろうか。何もすることがない時間と,やらなければならないという気分を持っていない状態なのだろうか。
こういうエネルギーを感じない状態を考えると,むしろ,心を亡くしそうなのは,休んでいるときかなとも思えてくる。
忙しいのは,生きている証拠かな。反省。
ある食い物屋に,そういう張り紙があった。こうも続いていた。「こぼしたり,落としたりしたからと言って叱る必要はありません」
「だから気にせずにいらしてください。」ということだろうか...。
優しく物分かりの良い店長の居るこの店は,はたして家族連れで大繁盛しているのだろうか。それは不明だ。
子どもが,散らかし汚すものと言うのは程度の差こそあれ,その通りだと思う。しかし,はたして叱る必要は無いのだろうか?
他人も一緒に食事するスペースで,ふざけすぎてこぼした時,親として大人として「寛容」に見ているだけでよいのだろうか。甚だ疑問だった。
子どもの大事な成長過程において,気を付けなければいけないこと,やってはいけないことを教えるのは,大人の努めだ。
今では,近所の雷オヤジは居なくなり,子どもは他人から叱られることなどほとんど無い。
社会は,他人の子どもがどうあろうと興味は無い。ならば,自分の子どもは自分できちんと育てるしかない。
元々躾は親の責任なのだし,かわいい子だからこそ,叱ってでも人の気持ちのわかる,人間社会を理解した人間に育てたい。
自分の悪さや失敗を咎められもせず,誰かが埋めてくれて育った子どもは,大人になってどうなるのだろう。
自分は悪くない,誰かが埋めてくれればよいと考える。いや,何故怒られるか理解すら出来なくなってしまう。
したがって,マナー違反を咎められたら,理解不能のまま逆ギレだ。
大人になっても他人の怒りはわからないし,自分の怒りの所在も沈め方もわからないのだから。
逆に,不満に思ったことでも相手に解るような伝え方,叱り方も知らない。
ネット上,特に掲示板のマナーでも同じようなことを感ずることがある。
今更言うことでもないが,自作は面白い。
プラモデルと同じで簡単だという人もいる。
奥が深いという人もいる。
そのいずれも否定の余地はない。それぞれの経験から出てくる言葉なのだから。
かつてよくわからなかったこと,放っておいたこと,棚上げしていたことに,いつか「はっ」と気が付くこともある。それでバッチリ動いちゃえば,この上ない喜びだ。
しかし,それはそれで良いけど,「無理かな」と思っていたことを,いつか思い出して,もう一回やって挑戦してみたら,意外とサクッとトラブル解決したりすることはないだろうか。
こういうときは,過去何処に誤りがあったかを考えたい。是非こだわりをもって欲しい。それが,自分のスキルアップに気が付ける唯一の証なのだから。
相性問題は怖い。しかし,相性といわれるもののいくつかは,スキル不足のデマだったりする。プラモデルだと思っている人に考えて欲しいことが一つ。
組み立てて形ができたあとが勝負。プラモデルもシール貼りや塗りで命が吹き込まれることを感じて欲しい。
簡単だと決めつけている人の落とし穴は,組み立てて動かなければ,”プラモパーツ”の欠陥で片づける可能性は高いことだ。
さらに,一歩上を楽しむなら,様々なデバイスを装着し,PCI
もベイも埋め尽くした PC にも挑戦してほしい。
挿せば動くパーツばかりを集めるのは,私の自作道楽には合わない。パーツも増えてきたら色々な組み合わせで楽みたい。
私の自作道は,常に初心者であり続けることだ。万年初心者宣言!
私がDOS/V機(PC/AT互換機)を初めて手にしたのは1994年。
それまで使っていたパソコンは,タンス1本分に匹敵するスペースをとりながら,DOSしか動かない仕事にも追いつかなくなった恐ろしく不効率なものだった。
私の母親がパソコンを始めたのも,そのときだった。
古いパソコンは,タンスの肥やしか廃棄処分と思っていたところ,母親が,そのパソコンを欲しいという。
孫が,ゲームやお絵かきやをしているのを見て,かねてより羨ましいと思っていたらしい。孫との遊び道具かと思い,早速部屋に運んでやった。
さて,翌日から60才に手が届こうという母親の「手習い」が始まった。
「文字はどうやって打つのだ」「漢字はどうすれば思うようなものが出てくるのか」etc...。
寸暇を惜しんでの質問と,遠くなった目と,シミとしわだらけの指を使ってのパソコン作業であった。
それからというもの,自分の作った俳句を季節ごとに分類し,並び替えてはプリントしたり,校正したりと楽しんできた。もちろんゲームも欠かさない。
いつの頃からか,母親を鬱陶しく思い,口をきく機会が少なくなり,「母親は,母親という種類の生き物だ」と,自分に思いこませ避けてきていたように思う。
この間の,母親との会話は以前の数年分に相当したかもしれない。
老いてきたとばかり思っていた母親の,意欲とバイタリティに感心させられ,「忙しい」を理由に何もしていない自分を反省させられた。
このとき,未だに母親から教えられなければ進歩できない小僧っ子だと思い知らされた。